2012年4月11日水曜日

天田君を悼む、


 天田君は三月十二日に逝去した、満七十歳、パーキンソン氏病症候群だった。
 彼の命日を前に、幾つか句を詠んだ、・・・。 

一、        水草生ふ奇跡の星に生を受け

二、        遇不遇託たぬ友よ梅の花

三、        蕾解く痛みは言わぬ梅古木

四、        遅桜待たてずに逝きし無念かな

五、        亡き友よ幾年見しや桜花

六、        友よ逝くかせめて乗せたき花の雲

七、        明日は散る恨みは言わぬ桜花

八、        安らぎは散ることなりや姥桜

九、        友逝きて独り酌む夜の桜かな

十、        復遇おう来世は伴に花の園

十一、咲き乱るる白木蓮の深空かな

2012年4月7日土曜日

はらからは老いたり、

昨年の夏、心臓の大きな手術をした直ぐ上の兄が、北茨城の実家と姉を訪ねたいと言っていたのでそのお手伝いをした。友部駅で待ち合わせ、車で高速を走り、平潟へ、・・・・。
いつもながらの上手い刺身を鱈腹頂いた。 向かいの保養館の奥方、小中学校を同級生として過ごした彼女だったが、心臓疾患で急死されたとの事。
この後の姉の家に立ち寄るので、長居は出来ない、震災被害の大きかった外バ浜を見せて高萩へ向かった。 姉の家では次女、長男も我々を待っていた、姉が呼んだのだろう。
姉も義兄も変わらず元気だ、・・・が、数ヶ月見なかっただけだが老いはそれなりに感じられた。
五人目の曾孫(長女の孫)が先日生まれたそうだ、お目出度いことだ。 
須らくはらからは 老いを進めている、吾もそうなのか!
『はらからは老いたり吾もや・・・・・』、・・・・・・下五が浮かばない。

2012年4月4日水曜日

三月の鴨川の海にて(その2)

翌日は、三人で漕ぎ出した、大潮の干潮の朝だ。少し西よりの風だったがそんなに強くない、ともあれ西へ、二エモンの磯へ向かった。 富澤氏は経験が少ないと聞いていたので、浜辺から離れないようリードした、が実は彼はかなり漕げることが判った、漁港の沖から、二エモンまではは少しウネリが有って初心者には難しい筈だが、彼はモノともしないで漕ぎぶりだった。
二エモンの磯は大潮の干潮らしく干上がっていた、ヒジキがびっしり生えていた、これが彼らには珍しいようだった、・・・。 風が出てくるのを心配して写真を何枚か撮ると直ぐに帰途に着いた。
漁港の前を漕ぎ渡り、加茂川河口のテトラの間を通ってマリーナへ入った、トイレを教え、彼のトイレの間にバランスブレース、スタンダードロールを確認し、彼が済めば直ぐに出発した。
富澤さんは五時の電車に天津から乗車した、・・・来年の再会を期して。


三月の鴨川の海にて、(その1)

カナダトロント在住のA.T氏は毎年冬に92歳の母親と過ごすために三、四ヶ月帰国する。
今年は四月上旬にトロントへ戻るというので、もう一度鴨川でカヤックしましょう!とお誘いした。

亀田クリニックの循環器内科の診療が済んでから、彼は午後四時過ぎの電車で鴨川駅に着いた。
ユハースさんはその前日から来ていた、その午後三時半頃から春のベタ凪ぎの海に漕ぎ出した。
いつもの定置網の三角点、更にその先の三角点まで、このようなベタ凪ぎは珍しい、のでまた更に沖だした、何キロ沖まで漕いだろうか?多分7kmは超えていただろう。
『春の海ひねもすのたりのたりかな』とは、この事だ!・・・・居眠りしそうな海だった。
気がつけば、もう夕暮れ、・・・グランドタワーに夕陽が沈むのに間に合うか? 帰りは少し飛ばした。
ユハースさんと、久しぶりにサンセットクルーズを楽しんだ!